無我の境地という言葉に、あこがれたことはありませんか?
人は、頭では「良くない」と分かっていても、ついつい自分のつまらない感情や欲求にすがりつこうとする習性があります。
でも、それでうまくいくことは少なく、物事が失敗するケースのほとんどは、自分というものにすがりついてしまったために起こる失敗です。
もしも、日々のちょっとした思考のトレーニングで、少しでも無我の境地に近づけるなら、ぜひ、試してみたいと思いませんか?
そこで今回は、無我の境地に達するための具体的な方法をご紹介します!
無我の境地に達するための5つの方法
1 自分を軸にしていたという事実に気づく
無我の境地とはいっても、ふだん馴染みのない言葉ですから、これをイメージするのは非常に難しいです。
ですので、「無我の境地とは何か」といきなり考えるのではなく、まずは「その逆は何だろうか」と考えてみましょう。
無我の境地の逆は、「自分を軸にして物事を考える」ことです
たとえば、誰かから問題を指摘されたとき、その言い方が気に入らないと、つい「バカにされた」と感じてしまいませんか?
また、相手が年下であれば「年下のクセに」と。
こういう考えをしてしまうのは、あなたが自分を軸にして物事を考えているからです。
でも、あなたにとっては、指摘された内容が重要なのであって、「誰が言った」「どのように言った」ということには、あまり意味がありません。
こんなことで、いちいち腹を立ててしまっては、無我の境地からは程遠いですよね。
大切なのは、その問題を指摘されたあなたが、その後どのように改善していったか、というただそれだけなんです。
あなたがこのことに気が付き、指摘をちゃんと受け入れて、改善することができれば、一番トクをするのはあなたです。
これが、無我の境地への第一歩です。
偉い人ほど聞く耳を持っている、と言われるのは、彼らが自分を軸にしていないからなんです。
「自分はこれまで、何をするにも自分を軸にしていた」という事実に気付いて反省し、自分ではなく物事を軸にする考え方を実践するよう、心がけてみましょう。
2 自分の思考を眺める
自分を軸とせず、物事を軸とする考え方について、お分かりいただけたでしょうか。
多くの人は、自分を軸にすることが半ば習慣になっています。
そのため、自分を軸にして物事を考えているという事実に、気づくことさえできないのです。
あなたがこのことに気づいたなら、その次のステップとして、自分の思考を客観的に眺めることを心がけてみましょう。
たとえば、あなたの目の前に、今すぐやらなければいけない仕事があるとします。
あなたの思考は、どのようなことを考えるでしょうか。
「疲れているからやりたくない」「明日でも間にあうのではないか」という思考が、ついつい沸き起こってしまうのではないですか?
でも、こうした思考が、自分を軸にしていることは、もう十分お分かりいただけているはずです。
自分の思考を客観的に眺め、こうした思考の流れに気づくことができれば、本来考えるべきことがおのずと見えてきます。
考えるべきは、その仕事の納期や重要性などであって、あなた自身の事情は、目の前の仕事とは全く関係がないですよね。
これが、「我が無い」、つまり「無我である」ということです。
そして、こういう何気ない思考の変化の積み重ねが、無我の境地へのステップなんです。
このようにして少しずつ、自分の思考を客観的に眺めるクセをつけていきましょう。
3 他人に安易に流されない
あなたが、自分を軸とする思考をやめ、自分の思考を客観的に眺めることが習慣として身についていけば、次第にあることに気がつき始めます。
それは、あなたの周りにいるほとんどの人たちは、このことを知らない、ということです。
多くの人は、自分というものにすがりついて生きることを、当然であるかのように考えて生きています。
そういう人は、以前のあなたと同じように、「自分が軸になっていますよ」と指摘されると、怒ります。
でもあなたはすでに、これがいかに間違った思考であるかということを知っています。
そのため、指摘されて怒るような人とは、あまり深く付き合ってはいけません。
せっかくあなたが無我の境地に一歩近づいていても、そういう人と関わってしまうと、相手の悪いスパイラルにあなたが巻き込まれてしまいます。
これではまた逆戻りです。
無我の境地へと至る気付きを得たのであれば、それを妨げるような考えの人とは、なるべく距離を置くようにしましょう。
4 毎日の仕事や趣味に没頭する
自分が軸になっている人たちと距離を置いたら、ぜひ一人の時間を大切にしましょう。
そして、自分の仕事や趣味に没頭してください。
これを「没我」といいます。
漢字も似ていますが、いわば、無我の境地に近づいている状態です。
物事に集中していると、「我」のウェイトは次第に減っていきます。
反対に、心が散漫としている人ほど、中身のない自分に必死になってすがりつこうしてしまうものなんです。
何でもいいので、自分を忘れられるくらい集中できるような趣味や仕事を、持つようにしてみてください。
5 体に良いものを食べ、健康を維持する
無我の境地への最後のポイントは、健康の維持です。
ひょっとしてあなたは今「無我の境地なのに、体の健康がなぜ関係あるのか」と考えたのではないでしょうか。
今からその理由を説明します。
世の中のほとんどの病気は、食事が原因だと言われています。
食事の乱れによって体が乱れ、体が乱れていると、心も乱れます。
つまり、不摂生な食事で健康が損なわれていると、頭の中にどれだけ気付きがあっても、心が集中せず、散漫としてしまうんです。
そして散漫とした心は、何かにすがりつこうとします。
心がすがりつくもの、それは多くの場合、自分の自我です。
つまり、体が健康でないと、これまであなたが繰り返し警戒し続けていた、「自分を軸にして物事を考える」という状態に、また逆戻りしてしまうことになります。
無我の境地とは、平易な言葉で表現するなら、「もう自我にすがりつかなくていい」という状態です。
その状態に至るためには、体の健康は必要不可欠です。
心の入れ物としての、あなたの体を大切にしてあげることが、無我の境地に至る上で、最も大切なことであると、まずは認識してください。
自分を軸にして物事を考えることをやめ、体の健康を維持し、物事に集中していれば、無我の境地はおのずとイメージできるようになっていきます。
さて、『無我の境地に達するための5つの方法』はいかがでしたか?
無我の境地をいきなり目指すのではなく、その逆である自我のウェイトを少しずつ減らしていくことが、無我へとつながるステップになる、ということが、お分かりいただけたでしょうか。
多くの人は、生まれてから今までずっと、自分を軸とする生き方に慣れすぎてしまい、いざそれをやめようとすると、自我が必死になって食い止めようとします。
その自我の反抗は、怒りや固執となって表に現れます。
無我の境地が難しい理由は、そこにあります。
まずは、自分を軸にして物事を考える回数を、1つずつでも減らしていくことを、心がけてみましょう。
そして、周囲に振り回されることなく、無我の境地のイメージを、いつでも大切に持ち続けるようにしてくださいね!
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